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イースター島 EASTER ISLAND

イースター島MAP
イースター島の中心地であるハンガロア村の詳細MAPは、
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太平洋の真珠と称えられる美しさ

モアイとはチリ領イースター島にある人面を模 した石造彫刻のこと。大きさは3.5m、重量20 トン程度のものが多いが最大級のものは20m 、重量は90トンに達します。モアイは、島で産出される凝灰石で出来ており、建造中に放置されたもの、現在風化しているものまでも入れると約1000体以上が島内に残っています。モアイは、島の東端と西南端の狭い切り立ったがけを除き、ほぼ島の全周にまんべんなく配置さ れている。作られた期間は10世紀から17世紀といわれ約800年以上に及びます。モアイが作られた目的が不明なのは、島民が奴隷として島外に連行され、さらに解放後、天然痘により島民の大半が死亡し記憶も途絶え、島固有の文化である文字板コハウロンゴロンゴを読めるものもいなくなり、さらにキリスト教布教の際、コハウロンゴロンゴが多数焼かれてしまい、これらのごく一部しか現在残っていないためと言われています。


イースター島 モアイ観光
イースター島DATA

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イースター島 観光地・施設
 
イースター島 アナケナビーチ   イースター島 アフ・アキビ(モアイ観光)
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イースター島 ラノララク(モアイ観光)   イースター島 アフ・トンガリキ(モアイ観光)
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イースター島 アフ・バイフ   イースター島 ハンガロア村 詳細地図へ PDF
アフ・バイフ   ハンガロア村
     
イースター島 ラノカウ火口   イースター島 オロンゴ
ラノカウ火口   オロンゴ
     

*アナケナビーチ

この地は伝説の王、ホツマツア王がマルケサス諸島ヒバァの国からイースター島にやって来た際、最初の一歩を標したとされています。1978年に発見された「モアイの眼」はここにあるアフ・ナウナウの倒れたモアイの下から発掘されました。砂に埋まっていたため風化を免れ、モアイの保存状態はとても良い。「コンティキ号漂流記」「アクアク」の著者、トール・ヘイエルダール氏もこの海岸にキャンプを設置しました。

 

*アフ・アキビ

島内に点在するアフ・モアイの中で、このモアイだけが海を見つめて立っています。ホツマツアの7人の使者(息子)を祀ったというアフ・アキビ。建造は10〜11世紀といわれています。 イースター島のモアイは「外敵から内の民を守るため」にすべて内陸を向いて建てられていますが、このモアイたちだけがなぜか陸に背を向け、西の海を向いて建てられています。 モアイの眺めるのは、春分と秋分の日に太陽が沈む方向であり、ホツマツア王がやって来たと言われるマルケサス諸島のヒバァ島が存在する方角でもあります。イースター島で亡くなった7人の使者(息子)の望郷の念を形にして祀られたものなのでしょうか。

 

*ラノララク

モアイ岩脈から切り出して製造していた場所。イースター島観光のハイライトでもあります。現在でも約400体ほどのモアイがラノララク山の斜面に放置されたままに埋もれています。 ここで切り出されたモアイは海岸沿いにあるアフ(祭壇)まで何十キロもの道のりを運ばれていきました。未だその運搬方法については謎のままです。 火口(クレーター部分)の内側には火口湖が広がり、トトラ葦が茂っています。現在も湖の周囲には埋もれたモアイたちが火口湖を見下ろすようにたたずんでいます。

 

*アフ・トンガリキ

かつてイースター島で最大の人口を誇った村が存在していた場所。 1960年代のチリ沖大地震で起きた津波によって倒された15体のモアイは、1995年に日本の企業、タダノ建設によって復元されました。 津波によって破壊されたモアイは内陸部の数百mもの範囲に渡ってばらばらになっていましたが、津波前に撮られていた写真を元に最新技術を駆使して復元されました。 津波の際にできた傷や風化の傷みが激しい部分の修復のために特殊接着剤を開発、注入器などを使って細部にわたって復元。もとの形に仕上げていく根気のいる仕事を成し遂げました。同社の風化耐久実験は現在も継続中。今後もモアイのメンテナンスは続けられていきます。

 

*アフ・バイフ

1750年前後に始まったモアイ倒し戦争(フリモアイ)の激戦区。アフ(モアイが建てられる祭壇)のモアイはすべてこのフリモアイによって顔を下向きに倒されています。 バイフからこの後のアカハンガまではアフと顔を下向きに倒されているモアイが海岸に点在しています。

 

*ハンガロア村

イースター島唯一の村。住民はハンガロア村を中心に生活しています。空港に近く、土産物店、ホテル、レストラン、病院、銀行、郵便局など集中しています。

 

*ラノカウ火口

火口湖の直径は約1.6kmで湖面までの深さは200m、湖の水深は4〜11m。火口湖からの地下水脈を伝わってハンガロア村の水源にもなっています。 この湖の火口斜面からはたくさんの岩絵も発見されています。鳥人の儀礼が行われていた際に刻まれたものと見られています。また、強風を避けて火口湖周辺にはオレンジ、グアバ、バナナなどの果樹も栽培されました。

 

*オロンゴ

9世紀の終わりまで続いた「鳥人の儀礼」が行われていたところです。ラノカウ河口の頂上にあり、現在国立公園に指定されています。海面から切り立った断崖絶壁の上方240mに遺跡がありますが、風の強さには驚かされます。 53戸ある石積みの家には、人間ひとりがようやく入れるほどの入口があります。入口が小さいのは風防と護身のためだといわれています。 儀礼の間、神官やロンゴロンゴの語り部たちが、この家で寝起きしていました。一戸の家に大人が約20人膝を抱えて寝る習慣があったことを念頭に入れてこの家の断面を見ると、室内は決して広くないことがわかります。 絶壁から海を見下ろすと目の前に3つの島が並んでおり、手前からモツ・カウカウ、モツイチ、モツヌイと呼ばれています。鳥人の儀礼では各氏族を代表する戦士の従者を代表に出し、モツヌイに産卵にやってくるマヌタラ(グンカン鳥)の卵を最初に持ち帰ることを争いました。 モアイ崇拝文化崩壊後、大気の神「マケマケ」を崇拝していた鳥民たちはその神の化身を鳥人と呼び、上半身が鳥、下半身は人間の姿をしている鳥人を神として崇拝しました。 戦士の従者ホプマスは絶壁を滑り下り、鮫が住む海をトトウ葦で作った浮子を使って島へと泳いで渡り、海鳥がやってくるのを何日も待ちました。ときには1ヶ月にも及ぶ競技会になったこともあったといわれます。 従者から卵を受け取った戦士は鳥人と呼ばれ、その1年間は島全体を取り仕切る長となりました。この鳥人を記念して、岬の突端の岩場には、たくさんの鳥人の像が彫り込まれています。

 
☆ラパヌイで見逃せない観光
*ラノ・ララク:モアイを造った石切場
*遺跡復元地:アフアキビ、タハイ、トンガリキ、オロンゴ村
*夕日がモアイの後に沈む、一番美しい日没はタハイで見られます
*ホテルやレストランの民族ショー
*ハンガロア唯一の教会での、ラバヌイ語の歌入りのミサ
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